誰でも「あの時ああしてれば良かった」と過去を後悔することがあると思います。
大なり小なり選択を迫られて、後になってから選ばなかった方を惜しく感じてしまうという。
しかしですね、この歳になって思うのですが人の決断にそもそも間違いなんて無いのではないでしょうか。
1、精一杯考えて決断したとしても、結果は分からない
「あの時ああしてればよかった」と感じることは結果論です。
例えば
・若い頃資格取得に時間を費やして遊ばなかった人が、もっと遊んでおけばよかった
と思ったり
社会に出てからリストラにあった人が
・民間企業に就職するのではなくて、公務員になっておけばよかった
と思ったりすることはあるでしょう。
自分にも過去を後悔をした経験はあります。
ただですね、最近思うのは
過去にそういう決断をした時には、それが一番いいと考えてそうしているわけなので、
結果が良くても悪くても、決断が間違いだったということにはならないのではないでしょうか。
仮にその時の選択と別の選択をしていたとしても、それはそれで後悔していたかも知れません。
選択を迫られた時に、精一杯考えて「これでうまくいくだろう!」と考慮が行き届いた決断したとしても、それでも結果なんて分かりません。
私の経験で言えば、2012年5月子供が1歳になったばかりの頃に勤めていた大企業を辞めました。
将来的な自由度を求め、実家の会計事務所に入り、税理士の資格取得を目指すことにしました。
資格取得は厳しい道のりで、とんでもないものに手を出してしまった、、、と何回も感じました。
仕事も畑違いで苦戦しました。
また、散々悩み抜いて会社に見切りをつけて辞めたのに、離れてみると大企業の良さがよく分かりました。
後悔とまではいかないものの、敢えていばらの道を歩むこともなかったのかな??、、、と強く感じる時期もありました。
先日 9/26 に税理士登録が完了し、資格取得については結果を出すことができました。
ただ、税理士としてはスタートラインに立ったに過ぎず、この先の保証があるわけではありません。
しかしですね
それでも過去の大企業を辞めるという決断が間違っていたとは思いません。
結局、人生の結果は死ぬ直前まで分からないので「その都度選んだ道を正解にする努力をし続ける」しかないのでしょう。
2、結果が出た後の評論に意味は無い
やたらと他人を評論したがる人がいます。
私の周りにもいますし、誰の周りにもいるでしょう。
そういうタイプの人って、やたらに結果だけを見て物事を言うんですよね。
評論家タイプの人が、私が税理士試験の初受験で簿記論に落ちた時には
「税理士試験みたい難しいものに挑むべきじゃないと思っていた」
みたいなことを言っていました。
しかし、今年の3月に全ての過程が終わって税理士になれることが分かったら
「お前ならやれると思っていた」
みたいなことを、あたかも最初から分かっていたかのように言うんですね(笑)
まぁ、結果が分かった後にどうこう言うのは簡単ですし何とでも言えます。
(そりゃあ、世の中結果が全てという文句も確かにありますけどね)
テレビで一部のコメンテーターが結果が分かった後に、もっともらしいことを言ってるのと一緒で
この手の評論にはあまり意味が無いと思います。
3、まとめ
過去を後悔することがあってたとしても、今の自分の立ち位置はその都度、最良の選択をし続けたものであるはずです。
どの選択をすれば正解か、結果なんて分かりませんが、それでも決断に迫られる時は来ます。
決断したら、後はその先の人生を正解にする努力をし続けるしか無いのだと思います。