スポンサーリンク

縁の下の力持ち


静岡県三島市の税理士、松井元(@hajime_matsui)です。
こんにちは!

『松井くんの印象は、縁の下の力持ちタイプだったと言うか、、、』

今から11年前、僕が8年以上エンジニアとして勤めた大企業を辞める、と上司に告げた時に言われた言葉だ。

予定が急遽変わり係長に昇進できなかった僕に対する慰めだったのだろうか。

縁の下の力持ち。

縁の下の力持ち

スポンサーリンク

やっているアピール

今の若い人はあまり使わないかも知れないワード。
縁の下の力持ち。

分かってはいたことだ。

昔からアピールは苦手だった。

必要以上にやってますアピールするのも嫌だったから、やらなかった。

淡々と仕事をこなすタイプだった。

サラリーマンだから仕事は選べないが、与えられた仕事はけっこう熱心にやったと思う。

仕事に必要なスキルは必死になって磨いた。

機械設計、プログラミング、英語のほか実験、資料作り、プレゼンなど枠にこだわらず能力を身に付けたし、社内での人脈作りもそれなりには頑張った。

それ故か、能力面ではそれなりの評価を受けていたと思う。

特に英語を話せる人材は限られており、海外からお偉いさんが来たときのプレゼンを任されるなど重宝された。

しかしこと人事面の評価については、英語を話せる人間よりも英語を話せる人間に上手に助けてもらう人間の方が評価が高かったりした。

全体を上手くコントロールしてる感があるし、他人との連携もできていると見られるのだろう。
こいつはマネージャーに向いてると。

縁の下の力持ち。

僕は目立つところで前面に出るという演出が下手だった。というか自分の頑張りをアピールするなんてダサいと思っていたし、アピール合戦で人と競い合うのが嫌だったのだ。

サラリーマンだから上司の顔色はうかがっていたが、評価のためにアピールすることは気が乗らなかった。

本質的ではないと思っていたし、実力だけで勝負したかった。

もちろん、サラリーマンで上り詰めたい人はそれではダメなのだが。

裁量権を持ちたい

偉くなりたいとか人を従えたかったわけではなく、人以上に給料がほしいとも思わなかった。

自分の裁量で自由に仕事したかった。

組織の中で裁量権を持つためには、上に行かなくてはならない。

だが、上に行くために必要なアピールは下手だしやりたくない。
仕事で目立つ美味しいところばかりを狙うとか、頻繁に飲み会に付き合うとか、休日にゴルフをやるとか。

能力はそこそこあるのに(周囲曰く)、そういう頑張りをやらないがために評価されないのも腹が立つ。

堂々巡りだと思うし、我ながらわがままな考えだったと思う。

そんな考えだから、当然高い評価を受けれたわけない。

一国一城の主人になるという選択

僕が縁の下の力持ちに見えるというのも、だいたい分かっていた。

先天的に目立つタイプではないし、アピールも下手だった。

先に書いたとおり能力面では評価を受けており、一定の仕事は任されるようになっていた。

だけど舵はとらせてもらえない。

30歳を過ぎた頃から、このまま組織にいても先が無さそうだ、と焦りを感じていた。

普通に考えれば、30歳という年齢はまだまだ組織でもこれから先の頑張り次第で結果は変わる年齢だろう。

だが、その時の自分はこれから先そこで頑張ってアピール合戦をしたとしても報われるとは思えない、という精神状態になっていたのだ。

プライベートで妻と一緒に社会人サークルを運営しており、そちらは楽しかった。

自分が主宰して好きなように運営していたからだ。

月に一回飲み会やお出かけのイベントをセッティングして、ネットで参加者を募集するスタイル。

自分で運営できることはこんなにも楽しいことなのか!と実感していたのをよく覚えている。

片や大企業での仕事は、そこそこ高い給料をもらい多少生活を潤すために我慢してやっているに過ぎなかった。

いつしか、自分の願望を満たす働き方は独立しかないと思うようになっていた。

独立。
他人の踏み台になんかなりたくない。自分の裁量で仕事がしたい。

アピール合戦も組織内での競争ではなく、自分の仕事を取るためにやるならできそうだと思った。というかやらざるを得ないだろう。

税理士になる

大企業を辞めてエンジニアとして独立したいと考えた。

ゼロから会社を起こしたいと思い家族に相談したが、それはリスクが高すぎるということになり紆余曲折の末諦めた。

実家が会計事務所だったことを何年ぶりかに思い出し、継ぐことにした。

これまでずっと理系畑を歩んできた自分にとっては未知の分野。

でも、自分の人生を何とかしたかったのだ。

人に使われるのではなく自分の裁量で働ける環境。それを得るためにはこれまでの積み上げたモノを捨て去る覚悟だった。

税理士になる。そして父親の後を継ぐ。

必死になって勉強した。

他人から見たら羨ましがられたキャリア。有名な国立大学を出て名だたる大企業へ就職。
そのキャリアをすべて捨て去った。エンジニアからの大幅な路線変更。

もう後が無い。失敗したら人生が終わるぐらいの気持ちだった。
30代の半分を費やした戦いを必死に乗り越えた。

そして、税理士になり今に至る、という感じである。

まとめ

今は自分がやることすべて自分のためにであり、他人のためではない。

会社という後ろ盾が無いから自分の腕がすべて。

自分の裁量で思いっきり仕事する。それが当時望んでいたこと。たぶんそこに至っていると思う。

しかし、思っていたよりもずっと厳しい。だって何の保証もないから。自分がこけても誰も助けてくれない。

それが自分の裁量で仕事する自由があることの裏返し。

でも僕はやる。やるしかない。

あの頃よりも楽しいし、自分の城をより輝かせたいから。
僕の選択は間違ってないと信じているから!