こんにちは。
静岡県三島市の税理士、松井元です。
昨日で41歳になりました。本当に一年が早いですね~ ^^
(↑ わらいごとじゃないっすね)
1歳1歳、年齢を重ねても経験を積むことを大事にしなきゃいかんな! と感じてる所存です。
さて、今日はそのあたりのことを絡めて経験の大切さをやや理系的にお話ししてみたいと思います。
自戒の念を込めて。
1、帰納と演繹というハナシ、経験が先か理屈が先か
帰納と演繹という言葉があります。
◆「帰納」というのは「個々の具体的な事柄から、一般的な法則を導き出すこと」をいいます。
◆「演繹」というのは「一般的な法則から、より個別的・特殊的な結論を得る方法」をいいます。
帰納
帰納についてもう少し。
ある事柄について経験を積むと、データがどんどん増えていくイメージになると思います。
例えば勉強時間とテストの点数の関係を
・勉強時間を x
・テストの点数を y
とすると、こんな感じ↓ になりましょうか。
勉強時間(x)が長いほどテストの点数(y)が良くなるはずです。
そして、これらのデータをもとに勉強時間に対するテストの点数を、法則として線(y = ax + b)で表せたとします。
帰納とは、このように経験に基づくデータから法則を導き出すことを言います。
経験 ⇒ 理屈
の順番です。
演繹
さて、一方で演繹というのは先に法則ありきです。
一般論として、〇〇時間勉強すればテストで何点取れるという法則(y = ax + b の線)がまずあります。
そして、それに対して実際の経験を積み重ねていって、その法則の正しさを証明するというものです。
後からデータが増えていくイメージですかね。
理屈 ⇒ 経験
の順番です。
2、帰納的に生きるというのは
さて、自分が冒頭で経験を大事にしたいと書いたのは、帰納的に生きたいという意味です。
何にしてもしっかりと経験を積んで、自分なりにこれはこういうものだという法則を掴みたいと感じています。
世の中、数式で表せるものなど少ないですが、すべての物事に理屈と経験が絡んでいることは間違いない思うんです。
歳を重ねると
・本で読んだことがある
・人から聞いたことがある
などで、持っている知識(理屈)は増えると思うんですよね。
先に法則の線だけは分かっているようなイメージですかね。
だけど、それだけで行動を起こさないことがどうしても多くなると思うんです。
それは、経験のデータが増えずに理屈だけは分かっている頭でっかちな状態ということですよね。
何でもまず、経験のデータを増やす。
そして、自分なりの理屈を掴む。
その後、本で読むなりして一般的な理屈(青線)も理解するのが良いと思うんです。
赤線と青線の傾き、切片は違いますよね。
自分なりの理屈(赤線)と一般的な理屈(青線)とはやっぱり少しは違うと思うのです。
この赤い線を導きだせるように経験を積みたいですよね。
別に先に一般的な理屈(青線)を知っていてもいいと思うんです。
だけど、経験を積んで自分なりの理屈(赤線)も必ず導き抱けるようにしたいということです。
3、経験が伴わない理屈では説得力がない
先に、勉強時間(x)とテストの点数(y)のはなしをしました。極論ですが、もし仮にまったく勉強したことがない人がいたとして、その人が自分の子供に
「○○時間勉強すればテストで□□点取れるから頑張れ!」って言っても説得力がないと思うんですよね。
その人が知っているのは一般論としての y=ax + b だけだからです。
自分が勉強した経験があって、自分なりの y=ax + b に基づいて言った方が全然説得力あると思いませんか?
4、まとめ
歳を重ねて危険なことは、分かった気になってしまうということではないでしょうか。
そういう体で若い世代と接すると、「このおっさん頭でっかちだな」ってなるのではないでしょうか。
だって、自分が20代の頃とかそう思いましたからね。
自分への戒めとしても、経験を重視した「帰納的な生き方」が理想だと思います。
これから先も、自分なりの y=ax + b を導けるように行動して行きたいですね。
編集後記
昨日(5/28)は 41歳の誕生日でした。
色んな方からお祝いのお言葉を頂き、ただただ感謝です。