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自分自身の平成をざっくり振り返ってみた

 ブログを読んで頂いている方を対象にオフ会を開催させて頂きます!!
 第2回【ブログオフ会 in 静岡市】2020年1月18日(土)

いよいよ元号が変わり令和になりましたね。

昭和生まれの自分は、平成の30年余りを丸々過ごしたことになります。

人生の大半(3/4)が平成ですね。

今日は記憶をたどりながら、平成の各年を一言二言でざっくりと振り返ってみたいと思います。

各年ごとに書いていること、何の統一性もない点を容赦下さいませ。

平成

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1、平成ざっくり振り返り

平成元年(1989年)

小学5年生、11歳。

ドラクエ3、4、マリオ3などのファミコンゲームにかなりはまっていた。

3学期から塾(三島進学ゼミナール)に通い始める。

平成2年(1990年)

小学6年生、12歳。

引き続きゲームにはまっていた。

スポーツテストでは1級、50m 8秒ぴったりを出すことができ、けっこう足が速い方だった。

運動は相対的にこの時期が一番得意だった。

塾に通っていたためか、成績は若干は良くなった。

平成3年(1991年)

中学1年生、13歳。

レギュラーを取れそうな部活を消去法で選んだ結果、テニス部に入部。

テニスは全く新しく経験するスポーツだったので、練習が楽しかった。

入学直後の実力テストはかなり悪く学年で半分以下。

2学期の中間テストまでは学年で 1/3 の順位に入るのがやっとだったが、2学期の期末より爆発的に順位を上げる。勉強のコツを少し掴んだ時期だった。

平成4年(1992年)

中学2年生、14歳。

部活のテニスは楽しかった。中体連が終わって秋に2年生中心になってからはレギュラーを取れた。

勉強の成績は1年の最後の頃と変わらず平行線。

平成5年(1993年)

中学3年生、15歳。

部活は最後の中体連。大した結果ではなかったが自分としてはやり切った感じだった。

自分はスポーツや芸術よりも勉強の方が得意だと確信する。

夏に中体連が終わってからは、受験に向けて本格始動。

静岡県立韮山高校に合格する。

平成6年(1994年)

高校1年生、16歳。

部活は文化部である天文気象部に入部。毎日、部室に集まってはだらだら過ごしたが楽しかった。また、月に1日夜空の観測のため(という名の遊び)、学校に1泊する日がありそれを楽しみに日々頑張っていた。

クラスの仲もよく高校3年間の中で一番楽しかった。

進学校なので皆頭が良く、学業は入学当初より苦戦。。。

それでも3学期には学年でそこそこの順位を取れた、、、、が学業はここがピーク。

平成7年(1995年)

高校2年生、17歳。

放課後の部活の集まりが楽しみで毎日を過ごしていた。

この頃、人生の中で一番 POP ミュージックを聴いていた。CDTV は1位~50位くらいまで全部知っていた気がする。

小室ファミリーが全盛の時代で軒並みおさえつつ、Bz、ミスチルなど王道は当然押さえていた。

友達とカラオケに行くようになったのもこの頃。

2年次に文系・理系の選択があり自分は理数系の方が好きだったので理系を選択。成績は思うように伸びず。。

勉強した方が良いのは分かっていたが実行に移せない自分がいた。

平成8年(1996年)

高校3年生、18歳。

受験生。

学校では本格的に受験対策が始まるが、自分はどこか本気になれずにいた。

大学では東京に出たいという気持ちが強く、私立大も国立大もすべて東京の大学を志望。

受験勉強を本気でやってなかったので、2学期頃には多分浪人することになると予測はしていた。

平成9年(1997年)

受験浪人、19歳。

国立、私立すべて東京の大学を受験するが、あえなく全滅。

少なくとも自分が頑張っている実感が無いと結果など出せるわけがないことを身をもって経験した。

4月から空白の一年がスタート。

東京の府中市の寮に下宿して八王子の予備校に通う。

東京は街を歩くだけで楽しく、ちょっと気を緩めると簡単に羽目を外してしまいそうだったが何とか我慢して勉強する。

寮ではなるべく意識が高い人とだけ付き合うようにし、背水の陣で最後の受験に挑む。

平成10年(1998年)

大学1年生、20歳。

第一志望の国立大学には受からなかったが、国立は名古屋大学、私立は早稲田大学、慶應義塾大学、東京理科大学に合格。

元々は東京に行く気満々だったが、名古屋大を受験した時にキャンパスにいた学生の様子が楽しそうだったので、急に気が変わり名古屋に行くことに。

名古屋大学工学部、機械航空工学科に入学。

アウトドアサークルに入り、楽しい学生生活を送る。純粋に活動が楽しいと感じたのは、これまでの人生の中で初めてかも知れないくらいサークルが楽しかった。

学業面では頑張って勉強するぞ!! って思ったのは最初の数日だけ。怠惰過ぎる学生生活。朝一限の授業に出た記憶はほとんど無く言語の単位を落としまくり、早くも留年の危機にさらされる。

バイトは家庭教師とうどん屋を経験。味噌煮込みうどんが好きになる。

平成11年(1999年)

大学2年生、21歳。

相変わらずサークルでの遊び中心の日々を送る。サークルは2年生が中心的に頑張らなければならなかったので、より力を入れる。

夏には、四国縦断の歩くイベントを開催。香川の坂出~高知の桂浜まで200kmの距離を7日間かけて総勢80人で歩く経験をする。

また、この頃自転車での遠出にはまる。名古屋から静岡の実家まで自転車で帰ってきたり、名古屋~琵琶湖まで行ったり、名古屋~鳥羽~知多半島~名古屋と伊勢湾一周する旅にでたりする。

学業面は相変わらずすれすれのところ。

平成12年(2000年)

大学3年生、22歳。

相変わらず遊び中心の日々を送る。

サークルでは夏の一大イベントで、太平洋(三重県の白子)から日本海(福井の水晶浜)まで1週間かけて歩く。

平成13年(2001年)

大学4年生、23歳。

春には友人と3人でアメリカ西海岸に旅行に行く。ラスベガス、ロサンゼルス、グランドキャニオンあたり。

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初の海外は刺激的だったが何回も一人になりたいと思った。旅行は一人で行って自由に行動した方が楽しいと分かったのはこの時。

大学院に進むか就職するかの選択の時期。工学部の学生は8割方進学するので流れに乗って大学院に行くことに。

大学院入試の成績が良いと後で就職活動の時に企業への学校推薦を取りやすいなることを知り、入試までの数ヶ月間は大学に入って以来初めてまともに勉強し、好成績で大学院への進学を果たす。

研究室に入り研究生活が始まる。

円錐角膜という目の病気が発覚。視力を出すため、ハードコンタクトレンズを着用するようになる。

なお、5月にあるショックな経験により、たばこを吸い始める。

大学院の入試後、英会話教室に通い始める。

平成14年(2002年)

大学院1年生、24歳。

研究は楽しくけっこうはまった。研究のために FORTRAN というプログラミング言語に触れることで、プログラミングの基礎を学べた。

研究内容を活かせる仕事に就きたいと思った。

夏にはタイに2週間の一人旅に出て、バンコク、アユタヤ、マレー半島と旅する。

自分の英語力を試せたのと、一人でやり遂げれたことで自信が付いた。

平成15年(2003年)

大学院2年生、25歳。

就職活動がはじまる。研究内容を活かせそうな企業として、㈱デンソーに行きたいと強く思った。

そして、学校推薦を掴むことができ、㈱デンソーへの内定が決まる。

割と順調だったので人生舐めてたかも知れない。

就活が終わってからは修士論文を書くために研究に没頭。

この頃、集団塾のバイトをしており、大勢の前で話す経験が後の社会人生活でとても役立つこととなった。

春の学生最後の旅行は一人でスイスへ。絶景に心奪われる。

平成16年(2004年)

メーカー1年目、26歳。

社会人一年目。これまでとは違い、色んなことをきちっとやらなけれぼならない厳しさを知る。

半年間は工場実習などの研修。

配属ではカーエアコン関係に部署に行くことができ希望が通った。

配属後、仕事は難しくなかなかコツを掴めずに苦戦。

なお、私生活では社会人サークルに入りそこでの活動と、合コンに明け暮れる。

ごく普通の20代の男だった。

平成17年(2005年)

メーカー2年目、27歳。

部署が変わり、仕事はより厳しい環境に。毎日が戦いであった。

GW には北海道ひとり旅、お盆休みには屋久島ひとり旅を経験。ユースホステルの泊まり歩きが楽しかった。

平成18年(2006年)

メーカー3年目、28歳。

仕事のコツをだいぶ掴んできた時期。一人で色々と計画して動けるようになっていた。

夏には北海道旅行で礼文島のユースホステルへ。

平成19年(2007年)

メーカー4年目、29歳。

仕事のスキルは日々アップしていた時期。できることが増えていく喜びを感じていた。

別の社会人サークルに入り、そこで妻と出会い数ヶ月後に付き合い始める。

平成20年(2008年)

メーカー5年目、30歳。

仕事は日々新しいことを覚えていた。

夏には妻と北海道に5日間の旅行へ。礼文島、網走、知床、釧路など北側を中心に回る。

平成21年(2009年)

メーカー6年目、31歳。

仕事は技術に加え、マネジメント的な部分も増えてきた時期。

ただ、この頃から個人の希望が通りにくい大企業に対して疑問を感じるようになる。

春に妻と入籍。

妻と一緒に社会人サークルを作りメンバーを集める。新しい人々との出会い。

平成22年(2010年)

メーカー7年目、32歳。

会社で人生初の大きな挫折を経験する。大企業で努め続けることへの疑問はさらに大きくなる。

GW にヨーロッパに新婚旅行。自身初のツアーでドイツ、スイス、フランスを1週間かけて旅する。

平成23年(2011年)

メーカー8年目、33歳。

紆余曲折の末、大企業を辞めて実家の税理士事務所に転職し税理士の資格を取る決断をする。

長男誕生。

妻と立ち上げた社会人サークルは、友人に託す。

地元の静岡県三島市に引っ越し。

平成24年(2012年)

会計事務所1年目、34歳。

新しい会計事務所での仕事に大苦戦。

Excel VBA 、UWSC を覚える。

税理士試験の受験資格を得るために、日商簿記1級を勉強し合格。

平成25年(2013年)

会計事務所2年目、35歳。

徐々に仕事の範囲を広げて行った。

税理士試験の簿記論を受験して不合格。税理士試験の怖さを知る。

長女誕生。

平成26年(2014年)

会計事務所3年目、36歳。

法人、個人の申告書は全て一通り作れるようになった。

税理士試験の簿記論、財務諸表論を受験して W 合格。即大学院への入学を考える。

平成27年(2015年)

会計事務所4年目、37歳。

税理士試験の国税徴収法を受験して合格。

春に税法2科目免除のために、東亜大学通信制大学院法学専攻に入学。

大学院では秋から本格的に修士論文が始まる。

税理士になるための過程に目処が付いた年。

平成28年(2016年)

会計事務所5年目、38歳。

freee の認定アドバイザーになる。

大学院では修士論文の執筆が中心。秋には完成の目処が付く。

11月より本ブログスタート。

カラオケサークルに入る。趣味の一人カラオケも再開。

平成29年(2017年)

会計事務所6年目、39歳。

仕事は法人の決算が中心。相続関係の財産評価を初めて経験する。

大学院卒業。

9月に念願の税理士登録を果たす。

長男、小学校入学。

完全禁煙スタート。

マイホーム購入。

三島商工会議所青年部(YEG)入会。

平成30年(2018年)

会計事務所7年目、40歳。

仕事は新しいサービスを日々模索。

自分が登録後に初めて新規顧問先獲得。

単発のコンサルも実施。

ネットからのアフィリエイト収入が月数万円になる。

2、まとめ

こうやって振り返ってみると、対してドラマ性もない人生だな〜、、、って思いますけど、でもまぁ、たまに振り返ることには意味があるのかとも感じています。

令和はどんな人生になるんだろう!

目標持って、健康に楽しく生きていきたいですね。

編集後記

5/1、2 と5月決算に向けて仕事しました。

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